2011年 10月 17日 ( 1 )   

7ヶ月経った福島   

兄のお墓参りに福島市へ行く。
来年の1月は7回忌なので、その打ち合わせも兼ねて。

福島市に行くのは一昨年の10月以来。
2年ぶりだ。
去年は、前半と終盤は仕事が繁忙モードで、中盤は骨折で、行けなかった。
繁忙モードっつったって、まるで休めなかったわけじゃないし、福島市なんて軽く日帰りで行けるわけだから、行けなかったのではなく行かなかった、が正解なんですけどね。

そして今年。
このブログにも書いたような気がするけれど、3月11日は実は福島行きのために有給休暇をとっていた。
でも行かなかった。
理由は自分でもよくわからない。
会おうと思っていた福島在住の友達の都合が悪くなった、が直接の理由ではあるのは確かなのだけれど、それがわかった後、「でもせっかく休みをとったからやっぱり行ってお墓参りだけちゃちゃっとして来よう」と思った瞬間があったのも事実。
11日の朝、家人と「あら?今日は福島に行くんじゃなかったっけ?」「う~ん。なんだか急にめんどくさくなって」という会話をしたし。
「お兄ちゃんが『来るな』って守ったんだよ」は、福島市飯坂温泉に住む叔父さんのコメントです。
そうなの?
そういうのと無縁の半生だからなあ。
単にめんどくさくなった自分、ってだけなんだと思うけれど、あんなことがあるとこじつけたくはなりますよね。


福島県内各地に住む友達や親戚から「浜通り以外は表面上は変わらないし穏やかそのもの」と聞いていたので、私はうかつにもなんの心の準備もしていませんでした。
でも、震災以来、初めての自分には福島市は以前とかなり違って映った。
墓石がまだズレたままのお墓があり、屋根瓦が修復されていない家が目立ち、幹線道路に突然「本日の放射線量」の掲示があり、除染終了、もしくは途中の青い養生シートが目立つ学校が多い。
私には違和感ありありだけれど、もう地元の人には見慣れた風景で、だからこそみんな「変わらない」と言うのでしょう。
「表面上は」に軸足を置いた「変わらない」なのかもしれない。

私が十代の始めに住んでいた家の近くには仮設住宅がびっちり建っていました。
車で通っただけでしたが、あんなにたくさんの仮設住宅を見たのは生まれて初めてです。
そして、叔父の家にはふつうに放射線量計測器がありました。
町内会に1個ずつ配られているとのこと。
試しに計らせてもらった。
同じ家の中でもけっこう違う。
1階より2階が高く、木々が近くにある方の部屋が高め。
数値は、東京の、たとえば我が居住区で発表される値のほぼ10倍のラインで推移しているようでした。

こういうことを毎日毎日、文字どおり「日課」にして考えながら暮らすことを科せられているのは、ふつうに考えればストレス以外のなにものでもない。
だから避難する人は多いし、避難しない人は、自分の一部を麻痺させたり、開き直ったり受容とか諦観したりしてるんだろう。
どれもふつうの状況ではない。
もちろん、人はいろんなことから逃げたり麻痺させたり開き直ったり受容したり諦観したりして暮らしているわけだけれど、終わりが見えないそれを地域全体で共有して7ヶ月というのは、本当に他に類を見ない状況だと思う。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。
なるようにしかならない。

叔父と叔母が数時間の間に複数回口にした言葉です。
除染には、小中学校規模で1校あたり三千万、高校レベルだと四千万の費用がかかるそうです。
しつこいですが1校あたり。
同じ市内でも、線量の高低差がものすごくあります。
叔父は、農作物はもちろん花火や橋の欄干の加工が福島だと知って拒否した西日本に対して露骨に不快感を示しつつ、市内の線量の高い地域に対しては平気で差別的な発言をしていました。
責められはしません。
東京に住む自分だって、23区内で線量が高いと言われたときに思うのは「福島に比べればどんだけマシか」だもの。
会津の人は「同じ福島でも会津は大丈夫だから」と観光を誘致してる。
避難区域>福島市>会津>東京>西日本、みたいな「序列」で考えてしまう。
しかたのないことだと思う。
でも、なんだか日本中のそういうのが丸ごと「哀しいなあ」と思ってしまいました。

友達と福島駅前の商店街をぶらぶら歩きました。
子どもの頃は活気を呈していた(ような気がしてた?)すずらん通りは、平日というのを差し引いてもあまりに人がいなくて、ここが本当に県庁所在地なのかと疑いたくなる閑古鳥っぷりでした。
これはなにも震災後に限ってはいないようですけどね。
でも、子どもの頃から聞き覚えのある、岩瀬書店、西沢書店、あきたや楽器店、日野楽器店、ナンジョウ手芸店、中合デパートなどなどは健在でしたよ。
全て老朽化していたけど。
中合デパートの「福島物産展」はあまりに小規模で人が少なくて、ちょっとシュンとしちゃったなあ。
一角で、福島民報(←地方紙です)の震災関連でこの7ヶ月間の頑張ってる人達の記事がたくさん掲示されてましたが、それも複雑な気持ちで眺めてしまいました。
上手く言えないけど。


帰りの新幹線は山形新幹線のつばさ号でした。
夜というのを差し引いても東北新幹線より車内が数段薄暗い感じで「中高年に厳しい!本が読みづらいじゃん!」と思いましたが、降りるときに気づいた。
座席ごとに読書灯がついてた。
パソコン用のLANケーブル(?)もついてた。
最新型車輌だったのねー。
ごめんね、つばさ。
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by kuni19530806 | 2011-10-17 23:58 | お出かけ