夜の木の下で
2015年 03月 24日
昨日は参った。
義父の眼科に付き添ったのだが、3~4時間の拘束は覚悟していたものの、12時半に家を出て、帰って来たのは18時半だった。
怒涛の6時間コース。
通院している眼科は今月から新しい場所に移って、今までのように、受付と眼底カメラ、診察と視力検査、の待合室が一緒でカオス状態になっていない分、ゆったり人が少なく見え、こりゃあ今回は早く終わるかなあと思ったら甘かった。
義父の担当医は院長で、院長だけ午後の診察が15時開始だった。
どうも、午前中の診察がメチャクチャずれ込んだらしい。
緊急オペとか、多い人なのだけれど。
義父は15時半に診てもらったが、その前の視力検査で、前回より視力が極端に落ちていることがわかり、でも原因がわからず(眼底カメラなどでは問題なし)、最初の診察後、急遽、造影剤を入れて血管の状態を調べることになり、それにけっこう時間がかかり、その後、また診察があり、造影検査でも異常が認められず、とりあえず様子見になり・・・で、なんだかんだで18時を過ぎていた。
私はその間、ほぼ座っているだけだったが、座っているだけって疲れる。
腰痛もぶり返してしまった。
病院の待合室は、読書も進まないし。
みんなは進むのかな。
私はダメだ。
湯本香樹実著『夜の木の下で』を読む。
湯本さんは『夏の庭』しか読んだことがなかった。
『夏の庭』は確か今から20年ぐらい前の小説だが、めきめきと児童文学の名作になり過ぎて、すごく好きなのだけれど、ちょっと勝手にひとり歩きしているイメージ。
比喩が正しくないかも、ひとり歩きって。
私にとっての2作めの今回の湯本さんの本は短編集。
表紙の色味がとても好きだ。
『夏の庭』の表紙は緑系だった気がするが、湯本さんの文章には緑や青が似合うなあ。
長いスパンで書かれた短編を集めた本だし、連作ではないが、トーンは揃っている。
テーマがあるとすれば、死と隣り合わせの生・・というか、生と死に境目などない、かな。
それが一貫して描かれている感じ。
そして、兄弟、姉妹の独特の距離がもうひとつのテーマのような気がする。
誤解を恐れずに言うと(少し恐れてるけど)狡いテーマだ。
地味だけど磐石というか。
でも、死を扱っても、湯本さんの小説には初期の吉本ばななのような鼻につく感じはない。
もちろん、全て私の主観ですが。
あ、断るまでもないか。
死んでしまった双子の弟と隠れたアオキの木の「洞窟」について書かれた「緑の洞窟」と、事故に遭って意識不明になった弟を思う姉の目線で語られる表題作「夜の木の下で」が好き。
この2作は15年の時を隔てて書かれているのも感慨深い。
「思い」と「思い出」は違う・・というとあたりまえみたいだけれど、「思い出」と「思い出す」も浮かぶことが違うなあ。
私は2006年に兄を亡くしているけれど、これを読んだら、兄に対する「思い」と「思い出」と「思い出す」を書き出してみたくなった。
それぞれ、浮かぶことが違って、しかもタイミングや自分の精神状態で、思いも思い出も思い出すも変わってくる。
変わるっていいなあ。
終わってないってことだもんな。
終わってないって、自分の中では生きているってことだ。
若いときには気づかなかったそんなことが、あたりまえのようにわかるようになる。
不思議だ。
義父の眼科に付き添ったのだが、3~4時間の拘束は覚悟していたものの、12時半に家を出て、帰って来たのは18時半だった。
怒涛の6時間コース。
通院している眼科は今月から新しい場所に移って、今までのように、受付と眼底カメラ、診察と視力検査、の待合室が一緒でカオス状態になっていない分、ゆったり人が少なく見え、こりゃあ今回は早く終わるかなあと思ったら甘かった。
義父の担当医は院長で、院長だけ午後の診察が15時開始だった。
どうも、午前中の診察がメチャクチャずれ込んだらしい。
緊急オペとか、多い人なのだけれど。
義父は15時半に診てもらったが、その前の視力検査で、前回より視力が極端に落ちていることがわかり、でも原因がわからず(眼底カメラなどでは問題なし)、最初の診察後、急遽、造影剤を入れて血管の状態を調べることになり、それにけっこう時間がかかり、その後、また診察があり、造影検査でも異常が認められず、とりあえず様子見になり・・・で、なんだかんだで18時を過ぎていた。
私はその間、ほぼ座っているだけだったが、座っているだけって疲れる。
腰痛もぶり返してしまった。
病院の待合室は、読書も進まないし。
みんなは進むのかな。
私はダメだ。
湯本香樹実著『夜の木の下で』を読む。
湯本さんは『夏の庭』しか読んだことがなかった。
『夏の庭』は確か今から20年ぐらい前の小説だが、めきめきと児童文学の名作になり過ぎて、すごく好きなのだけれど、ちょっと勝手にひとり歩きしているイメージ。
比喩が正しくないかも、ひとり歩きって。
私にとっての2作めの今回の湯本さんの本は短編集。
表紙の色味がとても好きだ。
『夏の庭』の表紙は緑系だった気がするが、湯本さんの文章には緑や青が似合うなあ。
長いスパンで書かれた短編を集めた本だし、連作ではないが、トーンは揃っている。
テーマがあるとすれば、死と隣り合わせの生・・というか、生と死に境目などない、かな。
それが一貫して描かれている感じ。
そして、兄弟、姉妹の独特の距離がもうひとつのテーマのような気がする。
誤解を恐れずに言うと(少し恐れてるけど)狡いテーマだ。
地味だけど磐石というか。
でも、死を扱っても、湯本さんの小説には初期の吉本ばななのような鼻につく感じはない。
もちろん、全て私の主観ですが。
あ、断るまでもないか。
死んでしまった双子の弟と隠れたアオキの木の「洞窟」について書かれた「緑の洞窟」と、事故に遭って意識不明になった弟を思う姉の目線で語られる表題作「夜の木の下で」が好き。
この2作は15年の時を隔てて書かれているのも感慨深い。
「思い」と「思い出」は違う・・というとあたりまえみたいだけれど、「思い出」と「思い出す」も浮かぶことが違うなあ。
私は2006年に兄を亡くしているけれど、これを読んだら、兄に対する「思い」と「思い出」と「思い出す」を書き出してみたくなった。
それぞれ、浮かぶことが違って、しかもタイミングや自分の精神状態で、思いも思い出も思い出すも変わってくる。
変わるっていいなあ。
終わってないってことだもんな。
終わってないって、自分の中では生きているってことだ。
若いときには気づかなかったそんなことが、あたりまえのようにわかるようになる。
不思議だ。
by kuni19530806 | 2015-03-24 20:33 | 読書