20年目に思うことに思ったこと   

友達のブログを読んだら、それで感じたことを書きたくなった。
本当は、コメントをつければいいのかもしれないけれど、きっと長くなるし、個人的なことまみれだからここに書こうと思う。

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知り合ったとき、もうさらださんはお父さんを亡くしていた。
なので、そのときの彼女を私は知らない。

お父さんについては、元気な頃のことも闘病中のことも含め、多くを聞いたことはなかったし、なんとなく、私たちが知り合うずっと前に亡くなったのかと思っていたが、そうでもなかったことを今日のブログで知って、ちょっと驚いた。
どうして驚くのか自分でもよくわからないのだけれど。


自分が先に死なない限り、親や配偶者や兄弟や子ども、そして友達、を亡くすことは避けられないのだ。

あたりまえの言わずもがななことを言っていると重々承知してわけだが、あらためてそんなことを思う。

兄の命日が来て、さらださんの文章を読んで、肉親の死が近い気分になっているからそう思うのかもしれないけれど(間違いなくそうだ)、27年前に自分の子ども、15年前に母親、9年前に兄、そして一昨年前に父親、を亡くした自分は、今までの自分の人生の半分の年数は近しい人間の死を感じて生きていることになる。
ずっと後悔しながら。
そして、その後悔は、些細なことほど残り、ふとした拍子にやたら鮮明に蘇る。

治療法をもっと検討すべきだったとか、転院すればよかったとかの、命とダイレクトに繋がる後悔もたくさんあるのだけれど、何年も時が過ぎた今は、そういうことより、あの日のお見舞いにイチゴを買っていけば良かったとか、あのとき、あともう少し病室に入ればよかった、話を聞けばよかった、愛想笑いでもしてあげればよかった、というような、日常の瞬間の後悔を感じることが多い。

そして、感じたからといって慟哭するわけでも、畳をかきむしるでもなく、鋭角的ではない哀しみが押し寄せてくるのを感じ、しばらくすると引いていったなあと思う。

長くとどまることはない。
でも、後悔の残滓みたいなものが自分に降り積もり続けている感覚がある。

今回、勝手に「さらださんもそうなのかもしれない」と思った。
それが、なんだか切なくてやるせなくて、ちょっとだけ心強いと思った。

サンキュー!・・というのもおかしいかもしれないけれど、サンキューです。
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by kuni19530806 | 2015-01-27 20:57 | 友達 | Trackback | Comments(2)

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Commented by おおもりさらだ at 2015-01-28 11:19 x
マツモトさん、リンクありがとう。

たまたまわたしの父の命日と
お兄さんの命日が1日違いだったんだよね。
後悔浮上の季節を共有できてうれしかった。

「一緒に行けばよかった」
「ハグすればよかった(できねーよ)」
「不機嫌な顔しなければよかった」…。

忘れられてたまるかよ〜って
父やお兄さんがあの世で何やら操作してると思って、
「おっ、ごめんな」と言ってまた意識下にしまいこめば
思い出してやったという実績になってOKかなあ、なんて思う。

一緒にセンチメンタルしてくれてありがとー。
Commented by マツモト at 2015-01-28 16:15 x
さらださま
コメントありがとうございます。
勝手に感応させてもらってスミマセン。
官能じゃなくて残念ですが(笑)。

>思い出してやったという実績になってOKかなあ

うんうん。
そういう考え方、好きです。
せめて命日周辺では実績作んないとね(^-^)

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