いまさらなお礼   

2000年、母親が死んだときはたくさんの友達にお世話になった。

その中のひとりである友人から先日、「お母さんが亡くなって14年だなんて本当に早いものだね」とメールが来た。

私は昨年、季刊レポという雑誌のライター募集に応募したのだけれど、書いたのは母親のことだった。
その友人は、最近それを読んでくれて、「面白いお母さんだったんだろうなあ。一度お会いしたかったなあ」という感想をくれた。

私は母親と上手くいっている娘ではなかったが、確かに母親はある意味、面白い人間だった。
でも、そう思えるようになったのは、残念ながら母親が死んでからだ。
そしてそれはキツい。
一貫して「被害者意識丸出しの、気分屋で子どもっぽい、面白みのかけらもない母親」と思っていられた方がずっとラクだ。
きっと、母親を若干肯定的に思い出せるようになったのは、自分が本格的に中年になったからだろう。

年齢を重ね、一人暮らしで、健康面と経済面に不安があれば、そりゃあかなりの孤独感を覚えるだろう。
そして、子どもに救いを求めたりもするだろう。
でも、子どもは親の孤独感、寂しさ、つまりは弱さ、に理解が足りない。
少なくても私はあまり理解しようとしなかった。
「自分はなんて不幸なんだろう」という被害者意識に凝り固まった母親をうっとうしいとさえ思っていた。
そういうアピールを感じれば感じるほど、どんどん冷淡になった気がする。

寂しかったんだろうな、母親は。
そして、私が思うよりずっと体調が不安定だったのだ。
母親は若い頃からしょっちゅう具合が悪いと言っていて、そのわりに早食いで運動が嫌いで栄養のことも気にしない、病院にもきちんと行かないようなタイプだったので、私は電話で愚痴をこぼされるたびに「具合が悪いならちゃんと病院で検査を受ければいいじゃない」と言うだけだった。
本気で心配しなかった。
母親から電話がくるたびに、自分が暗い気持ちになるのがイヤだったのだ。

ここ数年、母親のことであらためて後悔と自責の念にかられることがまた増え、だからといってどうしようもなく、そのたびに軽く落ち込んだりしているのだけれど、上述の友人の「一度会いたかったなあ」にちょっと気持ちを持って行かれた。

会ったってどうってことない、むしろがっかりさせたり不快な印象を与えたかもしれない、と思いつつ、その言葉がとてもうれしかった。


そうこうしているうちに、もうすぐ長兄の命日だ。
あれから9年かあ。
はっやいなあ。
生前はすごく年上だと思っていたのに、年齢を追い越しちゃったぜ。

兄は2006年までの世の中しか生きていないから、東日本大震災を経験せずに逝ったのだなあ。
小学生の時期のほとんどを福島県浜通りで過ごした兄が生きていたら、私とは違う心痛だったのだろう。
原町市(現・南相馬市)の友達や恩師とは大人になっても連絡を取り合っていたみたいだった。
そして、兄は福島市で働いているとき、コーヒーを飲みにわざわざ飯舘村に行っていたらしいのだった。

兄が亡くなったときも、私は本当にいろいろな人にお世話になったのだった。
上述の友人にも。

いまさらですが、みなさん、あのときは本当にありがとうございました。
私はなんとか元気です。
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by kuni19530806 | 2015-01-20 22:08 | その他

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