卒業写真のあの人は   

高校時代を過ごした場所に行ったので、久しぶりに高校の卒業アルバムを引っ張り出して見た。
十数年・・いや、下手すりゃ数十年ぶりに開いた。

なんか、ゲラゲラ笑ってしまった。
前回(30代ぐらい?)に見たときは、笑ったりはしなかった。
確かそのときは、誰かの消息を聞いて、「その人、どんな顔をしてたっけ?」と確認するために開いたと思うのだけれど、そこに写るかつての同級生にも、その近くに写っている自分にも、特に感慨も可笑しみも覚えず、平坦な顔と気持ちでアルバムを閉じたのだったと思う。

でも今回は笑った。
年月の隔たりが、なにかのラインを超えたのかもしれない。
もう笑うしかないラインを踏み越えたのだきっと。

18才との年齢差があり過ぎて、でもそこに写る自分や、先日会った友達は、老けたけれど基本路線は全く変わっていないことが、やけにおかしいというか、愛おしいというか、少し情けないというか、要するに笑ってしまうのだ。

今回、宿を予約してくれた同級生男子(!)は、当時は「小さな恋の物語」のサリーに激似で、今アルバムを見ても似ている。
今回は会えなかったけれど、十年前ぐらいに会ったときはすっかりオジサンで、全くサリーには似てなかった。
電話で「元気?」と言ったら、「うん。でも髪はなくなった」だって。
飄々としたその言い方は相変わらずだった。


体育祭のリレーの写真が載っている真理ちゃんは「正しい走り方の見本」みたいで、当時から今に至るマジメな人柄がにじみ出ていて可笑しいし、喜多方から会津若松まで車で「輸送」してくれて鶴ヶ城に連れて行ってくれた友達のアルバムの集合写真の表情は、今回、お城を背景に撮った写真と全く同じだ。

もう、笑うしかないでしょう。

きっと、私も似たようなものなのだと思う。

すっかりオバサンで、かつて似ていたかもしれない何かにはもう全然似てなくて、無防備なスナップに人間性がにじみ出て、写真では驚くほど十代と同じ表情をしてたりするのだろう。

月並みな言い方だけれど、あのときがあるから現在(いま)の自分がいるのだ。

いろ~んなことがあって、貴重だったり、しなくてもよかったりする経験もいっぱいして、自分が損なわれるような恐怖を覚える瞬間も知り、至福の気持ちで世界に感謝したいと思うことだってあり(たぶん)、歯を食いしばったり、脳内をフル稼働したり、弛緩したり・・それこそ、十代の自分には想像もできない人生を歩んでいるはずが、同じ表情でカメラを見たりしているのか。

なんだ、そんなもんか人生って。
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by kuni19530806 | 2014-11-29 10:33 | その他 | Trackback | Comments(0)

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