新宿御苑   

「アウトプットばかりじゃ自分が枯渇するのでインプットは大事」みたいなことを言い、本を読んだり映画を見たり美術館に行ったり旅行することなどを、そのベクトルから正当化・・っていうか、奨励?したりする人がいますが、長らく「んな、しゃらくさい理由は要らないんじゃねーの?」と思ってきました。
今も若干思っています。
別に、自分を枯渇させないためにとか、アウトプットの材料にするために、読書や映画鑑賞や美術館めぐりがあるわけじゃないし、だいたい、アウトプットやインプットの概念が、人間を容れ物化しているみたいでうっすら違和感があったのです。

人間=容れ物、と考えた方がめんどくさくない事例は多々あります。
出し入れで捉えると、食べ物もお金も健康も、シンプルゆえに真理が見えてくるってこともあるように思います。
もしかしたら、情報とか知識も。

でも、なんだかそのトコロテン方式っぽい考え方は諸刃の剣のような気もし、それを象徴するようなインorアウトプットという言葉を、人間にはあまり使用しない方がいいんじゃないかと個人的には思っていたのです。

が、今は逆の⇒(ベクトル)で言えるかも、と思ったりしています。
インプットばかりしてると、目詰まりがしてくるというか、自分の風通しが悪くなる。
だからアウトプットは大事、みたいな。

この場合のインプットは私にとってはネタ。
わかりづらいか。
つい人に話したくなる日々の出来事、っていう意味のネタ。

日常の、たとえば仕事や家やテレビや本のことなんかで「あ、これを人に話したい」と思う瞬間がけっこうあります。
でも、話したいとき話したい人が近くにいるとは限らないし、話せる状況じゃなかったりする。
Twitterでつぶやく、というのもひとつの手ではありますが、ツイートできるネタは限定されてるし、この場合の話は、もっと個人的というか相手が限定されている内容なわけです。

そういうときは、いったん自分の中の保管箱にしまいます。
保管箱の中のものは、9割ぐらいは自然消滅したり、じきに話すほどでもなかったことに格下げされますが、1割は残る。
それが日々増えるわけで、保管箱はいずれいっぱいになる。
もう入らない。
入らないと滞る。
滞るって、枯渇と同じなのです。

そんなわけで、私はこのひと月、滞るという意味で枯渇してました。
なので、帰って来たゾロメ女の逆襲にこのひと月のことを書いたり、友達と会ったりして、ネタを放出して、ずいぶんスッキリしました。

今日は、3月までの職場の人々、総勢5人で新宿御苑に行って来ました。

あらゆる意味で気持ち良くて、本当に楽しかった。
ひと月ぶりという感覚は皆無で、自分の内側の話をするわけでもなく、広大な公園の木陰に敷物を敷いて、伊勢丹で調達してきたお惣菜とかお稲荷さんを食べ、だらだら散策し、池を覗き込み、温室に入り、バラを見て、千駄ヶ谷の駅前でお茶を飲んで帰って来ました。
すごく楽しみにしていたわりには、淡々と日常の延長のような時間でした。
でも満たされた気分で、すんなり解散して、今この瞬間の方が淋しい。
鈍いのか?
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by kuni19530806 | 2013-05-05 23:42 | お出かけ | Trackback | Comments(2)

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Commented by titypusprout at 2013-05-07 12:11
今、自分のブログを書いて、マツモトさんのブログを読んだら、なんと!!同じようなことを書いている…!?しかも2日遅れで…。5日は楽しゅうございました。そして今なんか寂しい気持ちに同意です。
Commented by マツモト at 2013-05-07 20:11 x
ホントにねー。
今、読みに行って、あまりに同じようなことを書いているのでビックリした。
マネすんなよ、みたいな(笑)。

でも勝手に、自分の言葉の足りないところを補填してもらって、そうそう、私もこれが言いたかったのだよ、とひとりうなずいたりしてます。
しかし、笑えるなあ。

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