のろのろ歩け 慢慢走 man man zou   

中島京子著『のろのろ歩け 慢慢走 man man zou』を読む。

北京、上海、台湾、を舞台にした3編が収録されています。
それぞれに具体的な関連性はなく、独立した3編です。

現在の日中関係を思うと、まるでこの事態を念頭に置いて、あえてこのタイミングで刊行されたのでは?と穿った見方をしてしまいそうになりますが、この3編がいつ執筆されたにしろ、通常の書籍刊行の準備期間などを想像すると、タイミングを図った(謀った?)ものではないと思われます。
ただ、タイムリーなのは確か。

国同士がいくらぎくしゃくしていても、そこに暮らす市井の人間同士がぎくしゃくする必要はない。
もちろん、国政や国の方針や社会に漂う空気が、人々の生活に無関係、影響なし、ではないことは重々わかっている。
わかっているけれど、今の時期だと、この小説に描かれた中国と、タイトルでもある「のろのろ歩け 慢慢走 man man zou」という言葉は、著者の思惑以上の意味を、読んだ人間から付与されてしまうのは仕方がないように思います。
落ち着いて、穏やかな気持ちで、まんまんぞう、精神で中国と接して行こう、みたいな。

この小説がそういう時事問題がらみで語られがちになるとしたら、残念に思います。
小説そのものがすごく良かったから。

中島京子さんはいい小説家だ。
他の誰かにとってのいい悪いはどうでもいいけれど(たとえ高野秀行さんであっても)、私にとってはとにかくいい小説家だ。

その理由は、中島さんの小説を読むと、触発されるから。
小説を書きたくなるのではなくて、小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、自分にとって「上手く言葉にはできないけれど好きなもの」をこれからも絶やさないようにしたいというモチベーションが高まる、という触発です。
違う言い方をすると、中島さんの小説を読むと、「自分の好きな小説ってこういうの」という査定基準がますますわからなくなる、そこがスゴイと思う。
「好き」の枠や限界がとっぱらわれるってことだから。

よく、若いお嬢さんが好きなタイプの男性について条件を言うけれど、それがたとえば「親を大切にする」だとか「ウソをつかない」とか一見まっとうであっても、私はあまり真剣に聞いてられません。
条件がまともに聞こえれば聞こえるほど、そういうことをとうとうとわかったように言う人はわかってないというか、自分とは根っこのところで相容れないと思ってしまう。
よくわからないけれど好き、の重要性(?)がわかってない人っぽくて、つまらないのだ。

そんなわけで、この『のろのろ歩け』の感想はもういいや。
具体的に、3編のどれかのこの部分が印象的、みたいなことを書こうかと思ったけれど、自分の文章が勝手な方向に行ってしまったので、やめた。

実在の周囲の人物や時に自分自身がそうであるように、小説の登場人物もこっちの予想した行動や思考はそうそうとらない。
そして、予想されなかった方向に行くような小説の方が自分は好きみたいだ。
中島京子さんの小説を読むと、あらためてそのことに気づきます。
深い小説、というより、受け取れるニュアンスの層が厚い小説、だと思いました。
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by kuni19530806 | 2012-10-24 23:45 | 読書

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