見とれていたい☆わたしのアイドルたち☆
2012年 09月 18日
柴崎友香『見とれていたい☆わたしのアイドルたち☆』を読む。
取り上げられている「アイドル」は
スカーレット・ヨハンソン
ジュリー・デルピー&ジュリエット・ビノシュ
エマニュエル・べアール
ケイト・ブランシェット
インリン・オブ・ジョイトイ
ニコール・キッドマン
クリスティーナ・リッチ
カイリー・ミノーグ
マギー・チャン&チャン・ツィイー
ペネロペ・クルス
安室奈美恵
松坂慶子
ヴァネッサ・パラディ
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
ナタリー・ポートマン
ドリュー・バリモア
ヘレン・ミレン&ジュディ・デンチ
カトリーヌ・ドヌーヴ
マドンナ
です。
著者は私より一回りぐらい年下ですが、女子(!)が女子に憧れる、という構図はすごくわかるものの、その愛で方(?)は自分世代とはちょっと違う気がします。
必ずしも世代間の相違、ではないのでしょうが、この柴崎さんに限らず、自分の周囲を見ても、けっこうそれを感じるもので。
極私的世代間の相違か。
自分が若いときから今まで、アイドル(今回は女子に限定)と呼ばれる人はたーくさんいましたが、大きく分けると、①同性に人気がある ②異性に人気がある の2大派閥だったと思われます。
①の代表が山口百恵や中森明菜で、もうちょっと古いところでは南沙織。
②の代表は、百恵ちゃんの対としての桜田淳子、あとは石野真子とか。初期の松田聖子はダントツだったのかなあ。
①も②も主観です主観。
でも、きっと多くが感じる2派の違いは歴然とあって、それは同性から見て「わざとらしくないかわざとらしいか、かっこいいか可愛いか」が肝だったと思います。
実際にどうかは関係なくて、雰囲気がそう見えるか否か、だけだったのでしょうけど。
わざとらしくないアイドルなんていないしさ。
昔って、情報は今よりずっと少ない分、想像力がたくましいっていうか、醸し出す気配に敏感っていうか、女子のアイドルに対する嗅覚は鋭くて、鋭い分、厳しくて、山口百恵や宝塚ワールドなどの特別なステージに到達した事例以外、たとえ内心、羨望や嫉妬は渦巻いても、女子が表立ってアイドルをアツく礼賛することはあまりなかった気がします。
でも今は、みんな屈託なく、手放しで礼賛するし語るよねー。
もちろんそれは必ずしも悪いことじゃないと思う。
やっかんだりシカトしたりせず、可愛いものは可愛いと思い口にも出し、マネしたり、糧にしたり・・することに文句をつける筋合いの者ではございません。
ただ、私のような心の汚れた人間にはどう考えてもその良さがわからないママタレや読モのブログ、あろうことか加●茶のブログに登場する嫁にまで、同性が「可愛い♥」「大好き♡」「ずっと応援してまーす」とかのコメントをたくさん寄せているのを見ると、時代は変わったものだーと感慨深いのと同時に、気色悪い。
そこにシニカルな視点はないのか?あるだろ?ないんなら思考停止じゃねーの?みたいな。
あくまでも喩え、極論ですが、ハリボテの書き割りの景色や風景を一瞬目視しただけで、キレイ!素敵!行ってみたーい!と快哉を上げてる感じに似ているような。
その瞬間以外は、前後に感情の痕跡すらない、のに言ってるみたいな。
ハリボテに気づいて言ってるんだとしても、気づいてないんだとしても、どっちも、気色悪い。
あ、この本はそんな気色悪い本では全くありません。
人選からもそこはかとなく察せられるように、著者がその目でアタマで気持ちで「好き」になった「アイドル」の魅力が、きちんと前後関係のある文章、説得力のある言葉、で綴られています。
いろんな意味でバランスや視界が良すぎて、それがイヤミなくらいです。
でもなあ、今ひとつ読んで心躍らなかったのが正直な気持ちです。
自分がここに登場するアイドルの、映画を見てない、曲を聴いてない、からかなあとも思ったのですが、やはり、なんだかんだ言っても、その「微妙な感じ」は基本的な同性の見方の違い、のような気がします。
この本に出てくる「アイドル」の3分の2ぐらいの佇まいや顔立ちは、私もけっこう好きだし、書いてあることも納得なのですが、納得はしても釈然とはしないっていうかね。
ああ、上手く言えない。
でも、その違和感こそが、これを読んだ甲斐にも思えます。
なんだそりゃ?
表紙のかっこいい女性は松坂慶子サマです。
取り上げられている「アイドル」は
スカーレット・ヨハンソン
ジュリー・デルピー&ジュリエット・ビノシュ
エマニュエル・べアール
ケイト・ブランシェット
インリン・オブ・ジョイトイ
ニコール・キッドマン
クリスティーナ・リッチ
カイリー・ミノーグ
マギー・チャン&チャン・ツィイー
ペネロペ・クルス
安室奈美恵
松坂慶子
ヴァネッサ・パラディ
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
ナタリー・ポートマン
ドリュー・バリモア
ヘレン・ミレン&ジュディ・デンチ
カトリーヌ・ドヌーヴ
マドンナ
です。
著者は私より一回りぐらい年下ですが、女子(!)が女子に憧れる、という構図はすごくわかるものの、その愛で方(?)は自分世代とはちょっと違う気がします。
必ずしも世代間の相違、ではないのでしょうが、この柴崎さんに限らず、自分の周囲を見ても、けっこうそれを感じるもので。
極私的世代間の相違か。
自分が若いときから今まで、アイドル(今回は女子に限定)と呼ばれる人はたーくさんいましたが、大きく分けると、①同性に人気がある ②異性に人気がある の2大派閥だったと思われます。
①の代表が山口百恵や中森明菜で、もうちょっと古いところでは南沙織。
②の代表は、百恵ちゃんの対としての桜田淳子、あとは石野真子とか。初期の松田聖子はダントツだったのかなあ。
①も②も主観です主観。
でも、きっと多くが感じる2派の違いは歴然とあって、それは同性から見て「わざとらしくないかわざとらしいか、かっこいいか可愛いか」が肝だったと思います。
実際にどうかは関係なくて、雰囲気がそう見えるか否か、だけだったのでしょうけど。
わざとらしくないアイドルなんていないしさ。
昔って、情報は今よりずっと少ない分、想像力がたくましいっていうか、醸し出す気配に敏感っていうか、女子のアイドルに対する嗅覚は鋭くて、鋭い分、厳しくて、山口百恵や宝塚ワールドなどの特別なステージに到達した事例以外、たとえ内心、羨望や嫉妬は渦巻いても、女子が表立ってアイドルをアツく礼賛することはあまりなかった気がします。
でも今は、みんな屈託なく、手放しで礼賛するし語るよねー。
もちろんそれは必ずしも悪いことじゃないと思う。
やっかんだりシカトしたりせず、可愛いものは可愛いと思い口にも出し、マネしたり、糧にしたり・・することに文句をつける筋合いの者ではございません。
ただ、私のような心の汚れた人間にはどう考えてもその良さがわからないママタレや読モのブログ、あろうことか加●茶のブログに登場する嫁にまで、同性が「可愛い♥」「大好き♡」「ずっと応援してまーす」とかのコメントをたくさん寄せているのを見ると、時代は変わったものだーと感慨深いのと同時に、気色悪い。
そこにシニカルな視点はないのか?あるだろ?ないんなら思考停止じゃねーの?みたいな。
あくまでも喩え、極論ですが、ハリボテの書き割りの景色や風景を一瞬目視しただけで、キレイ!素敵!行ってみたーい!と快哉を上げてる感じに似ているような。
その瞬間以外は、前後に感情の痕跡すらない、のに言ってるみたいな。
ハリボテに気づいて言ってるんだとしても、気づいてないんだとしても、どっちも、気色悪い。
あ、この本はそんな気色悪い本では全くありません。
人選からもそこはかとなく察せられるように、著者がその目でアタマで気持ちで「好き」になった「アイドル」の魅力が、きちんと前後関係のある文章、説得力のある言葉、で綴られています。
いろんな意味でバランスや視界が良すぎて、それがイヤミなくらいです。
でもなあ、今ひとつ読んで心躍らなかったのが正直な気持ちです。
自分がここに登場するアイドルの、映画を見てない、曲を聴いてない、からかなあとも思ったのですが、やはり、なんだかんだ言っても、その「微妙な感じ」は基本的な同性の見方の違い、のような気がします。
この本に出てくる「アイドル」の3分の2ぐらいの佇まいや顔立ちは、私もけっこう好きだし、書いてあることも納得なのですが、納得はしても釈然とはしないっていうかね。
ああ、上手く言えない。
でも、その違和感こそが、これを読んだ甲斐にも思えます。
なんだそりゃ?
表紙のかっこいい女性は松坂慶子サマです。
by kuni19530806 | 2012-09-18 23:17 | 読書