秋の四重奏   

バーバラ・ピム著『秋の四重奏』を読む。

ロンドンを舞台にした、職場の同僚である定年間近な男女2人ずつの日常を綴った物語です。
重篤な病を患った人あたりの悪い、大きな目でぎょっとしたように相手を見るマーシャ、人あたりは悪くないものの、結婚もそれ以前の恋愛にも縁遠く、遠慮がちな人生を歩んできた常識人レティ・・この2人の女性は定年退職の日を迎えますが、残った男性・・教会に生きるよすがを見出しているような長身エドゥイン、ワンルーム住まいの自虐ネタが十八番でシニカルな小柄のノーマン、は職場に残ります。

2人が定年を迎えること以外に小説的な事件は起こりません。
定年すら、あえてそう描いているとしか思えないほど地味な日常の延長です。
女性2人に対しては特に、ポジティブな要素は皆無の描写に終始します。
男性陣も・・まあトーンは似ています。
そして、多少の誤差はあれ近い将来、人生には必ず死というものが待っていて、人はそれを避けて通れないのだということが、タイトルにも彼らの静かな日々にも色濃く映し出されています。

こう書くと、この小説は暗く、どうしようもない鬱々とした世界を描いているかのようですが、必ずしもそうではありません。
いや、暗くて鬱々とした世界を描いているのですが湿ってはいない、と書いた方がいいかも。

人生は充実した人生とそうでない人生に二極分化されるわけはなく、もちろん良い悪いもなく、あるのは、自分の軌跡であり現実であり受容するしかない将来であり、心の広さや狭さ、心身の健康状態、生き甲斐と称するものの有無、家族愛や友情、金銭や物理的安心、などなどは、人生にとっては確かに大切な要素だけれども、それは人それぞれの芯の安定やその人の価値(みたいなもの)とは必ずしも連動してなくて、そこに一般論は存在せず、ついでに言えば人は誰しも孤独に決まっているし、ただ、今この瞬間を生きていること、もしくは死にかけていること、にこそ、現実という名をもっての意味があるのだ、それだけでいいのだ、とあらためて思えた、ような、私にはとても心に沁みる小説でした。

自分の人生、どこで間違っちゃったんだろ、と時々思います。
それは私の場合、後悔というより疑問で、その根底には「もう一度人生をやり直したとしてもまた間違うに決まってる」というのがあり、次回こそ大事なところで間違わない人生を!などとおこがましいことを思うのではなく、単になりゆきの種類を検証する感覚。
なりゆきに抗う、などという畏れ多いことは考えられず、あくまでも「まず、なりゆきありき」という自分の人生観(?)はいかがなものかとも思うのですが。

諦観ではなく、絶望とも違う、受容とは似ているけれどもドンピシャではない自分の毎日は、たぶん人より自作自演度も自己実現度も自己満足度も低いけれど、それはきっと自分がなにより求めるのは平穏さだからで、そんな自分にとってこの小説の4人は、基本的な部分で共感できたというか、同時に、反面教師で参考になったというか、とにかく面白く読めたのでした。

自分としては赤裸々なことを書いてしまうと、私はこれを読んで、自分が「普通はこうでしょ」的人生に翻弄されなくて良かったなと思いました。
その安堵は、良かった\(^^)/ではなく、人生の端っこで密かにホッと一息、みたいな安堵感。
私はたいした人生経験はないし、基本的に軽率な人間ですが、鋳型に嵌った幸せ、みたいなものはないし、あるように見えたらそれは幻想、というのだけはわかります。
ムリをして幸せになろうとするのは、潔癖症なくせに変態、ってことと同じくらい、私にはネタだ。
a0099446_10563610.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2012-09-05 23:55 | 読書 | Trackback | Comments(1)

トラックバックURL : http://giana.exblog.jp/tb/16118556
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2012-09-06 20:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

<< 夜をぶっとばせ 評伝 ナンシー関 「心に一人の... >>