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すべて真夜中の恋人たち   

川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を読む。

この本を読むような土俵にすら上がってないようなことを臆面もなくカミングアウトすると、私は人の色恋沙汰に本当に興味がないみたいです。
だからといってこの小説が面白く読めなかった、というわけではないのですが、これを書いている今現在、映画『バッチギ!』で主役をやっていた俳優の二股三股が話題になっていて、「そりゃあ、2人にほぼ同時にプロポーズするのはマズイだろうとは思うけれど、当事者や、その案件でとばっちりを受けたりして実害を被った人以外に、彼に文句を言う『権利』のある人間なんているんだろうか・・っていうか、どーでもいいじゃん、誰が誰を好きでも好きじゃなくても」としか思えず、まあ、ここで「権利」なんて言葉を使ってしまった自分もどうかと思うわけですが、なんだか、いろんな人が恋愛に限らずいろんなことに対して「自分も一言コメントする権利がある」とぎゃあぎゃあアピールしてる感じがそこここでしてうるせえ!と思う昨今なので、あえて、使ってみました。
・・ああ、文章メチャクチャですね。

実は今、職場には社内恋愛的気配が複数個所あり、面白いです。
面白いなんて書くと、「色恋沙汰に興味がない」と矛盾してるんじゃね?と言われそうですが、私の中ではしてません。
そういう気配を感じたり、画像として見たりすること自体は「いいんじゃな~い」と思うし、あわよくば応援の気持ちすらあるのです。
ただ、興味はない。
明らかに醸し出されたり垣間見えるモノは情報として受け取るし、その素材で料理したり咀嚼させてもいただくけれど、自分から取材したり憶測や想像をめぐらせたり進捗を気に病んだり・・ばかりか、率先してスポークスマンになったり、みたいなヒトの恋路における生産活動はしません。
ずっと、みんなそんなことの生産活動なんてしないよね、だって自分のことでも自分に波及しそうなことでもないんだから、と思ってきました。
でも、どうやらそうでもないらしいことが中年になってからわかりました。
これは、「中年だからわかった」ではなく、「中年になってから、周囲のそういう事例を複数知った」という意です。

どうも、他人の色恋での生産活動が大好きな人はけっこういるらしい。
ネタとして盛り上がることのできる芸能人のそれはわかるけれど、それ以外でも。
芸能人ではなくても、恋愛とあらば、ソッコーでネタ扱いに昇格(降格?)するのだろうか。

それと、自分が「興味がない」と言い切ってしまう理由は、人の感情はとどまっていない、と思うからです。
たとえば、自分が誰かを今「好き」だと思っていても、その気持ちがずっと変わらないかどうかなんてわからない。
むしろ、この世には変わらないものなんてない、を前提にした「とりあえず今は好きだ」という感情の方が自分には信じられる。
何十年も結婚しててナンですが(結婚してるから、ともいえる)、自分も自分以外も、明日の気持ちなんてわからないに決まっている、としか私には思えないのです。

要するに、人間関係は全て今の積み重ねで成立している、としか自分は思えないので、まるで未来永劫変わらぬ気持ちの言質をとるような迫力でこぞってヒトが知りたがる(←この文章もどうかね)「好きなの?恋なの?本気なの?」的疑問(どちらかといえば詰問)には昔からすごく違和感があるのです。
でも、いちいち「今は好きだと思う。でも明日はわからない」などと発言するのもどうかと思うので、そのあたりはテキトーに「好意を持ってるのは間違いない」とか言ったりして。
いやらしい言いぐさですね。

あ、この本のことを書いてないじゃん。
面白かった。
でも好きではありません。
すべて真夜中の恋人たち_a0099446_17491396.jpg

by kuni19530806 | 2012-05-01 00:48 | 読書

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