横道世ノ介   

吉田修一『横道世ノ介』を読む。

つらつら思い出してみるに、吉田修一ってあんまり読んでなかったのでした。
『最後の息子』と『パレード』ぐらいか。
書いているモノの傾向が似ているとも思わないのですが、私の中で、吉田修一と奥田英朗を混同していることがたまにあって、「伊良部一郎ってどっちだっけ?」などとわからなくなることがあります。
そして今気づいた。
私は吉田修一には特に興味がなくて、好きなのは奥田英朗だった(なんだそれ?)。

そんなわけで吉田修一の『横道世ノ介』です。
これって1~2年前、けっこう評判になりましたね。
吉田修一っぽくないタイトルだなあと思った記憶あり(奥田英朗っぽくもない)。

フシギな小説です。
登場人物全員、つかみどころがないっていうか。
バブリーな時代に大学生になって九州から東京に出てきた主人公世ノ介と彼の周囲の人々が、とりたてて大きな事件もなく描かれていきます。
各章の最後には、その人々の現在(20年後?)の姿が登場しますが、世ノ介が直接出てくることはありません。

まっすぐなんだか世渡り上手なんだか、臆病なのかずうずうしいのか、純粋なんだかそうでもないんだか、よくわからない大学生世ノ介がとてもリアルです。
世ノ介の言動や気持ちの振幅が大きい分、彼にはこれから無限の未来が拡がっているような、なんだかこっちまで人生に可能性を感じられるような、清々しさがあります。

中年になったかつての若者たちの日常は決して明るいものばかりではありません。
誰もが、現実との折り合いに苦慮したり諦めたり開き直ったりしているわけですが、そこでふと思い出すのが「あの頃の世ノ介」だったりします。
誰も世ノ介の近況を知りません。
付き合いは20年前以降、連綿とは続いてはいなかったわけです。
でも、ふっと彼を思い出したり、ある事件で彼の名前を見聞きした者はみな、大事なものを思い出したような格別な感情を覚えます。
それは、世ノ介自身に対してというより、あの頃の自分や時代に対する思いなのでしょう。
付き合い続けていなかったからこそ、世ノ介を思い出すことは若かった自分への郷愁に直結する。
読み手も疑似体験できます。

これは映画化されるそうで、世ノ介はあの高良健吾クンだとか。
なんだかんだ言ってイチバン変貌を遂げる祥子は吉高ナントカさん。
世ノ介役は難しいと思うけれど、素が無色そうな(あくまでも私の印象)高良クンは合ってるかも。
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by kuni19530806 | 2012-02-25 23:40 | 読書

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