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浮世女房洒落日記   

寒い~。
いくら気温が低くても、晴れて陽射しが感じられる東京の冬はありがたい・・とは重々わかっているのですが、乾いた寒さは身に凍みるんじゃなく身に当たる感じで、寒さでついつい身体に力が入ることも手伝って、特に肩こりが悪化中の年の暮れです。

そんななか
木内昇『浮世女房洒落日記』を読む。
面白かった!

文化文政、もしくは天保の時代、神田近辺で小間物屋を営むものの女房お葛の日記、という体のフィクションです。
この日記がまるっとこの本1冊ではなく、序章にこれが発見された現代での経緯と謎が思わせぶりな筆致でちょろっと記されているのですが、最後にその謎の全容が解明される、ということは全くありません。
もしかしたら、この日記がノンフィクションではなくフィクションであることを強調するための序章なのかもしれませんが、そのあたりの私の読みは鈍いので間違っている可能性大。
文庫版の解説あたりにはなにか手がかりが記載されているのでしょうか。
私は単行本を読んだからなあ。

が、しかし、そんなことは全くどうでもいいのです。
このお葛さんの日記が滅法面白い、もうそれだけで充分。

特にものすごい大事件が起こるわけではなく、江戸の世の小商いの日常の暮らしが、ある意味、ステレオタイプの古女房(とはいっても20代ですけど)の口から饒舌に語られる、それだけの、ちょっと時代劇や落語が好きな人間には目新しくもない世界です。
が、しつこいけれどべらぼうに面白い。

どうしてなんでしょう。
江戸の庶民の生活が活き活きと描かれていて、そこに現代の私達が忘れがちな大切なことやモノや心のありようがふんだんに詰まっているから、とかが魅力の基本であることは明らかですが、なんだかそれだけじゃない気がします。
小説は、場所も時代も自在に想定でき、どんなシチュエーションもリアルに構築できるという、その特性の醍醐味がある、という感じがするからかも。

江戸の庶民を舞台にした小説はたくさんありますが、この日記は「現代に通ずる」ではなく、時空の境目が感じられないのです。
今この瞬間、お葛さん達がこの空の下で日記の日々を営んでいる感じがとてもリアルなのです。

と、抽象的な感想を書きましたが、イチバンの魅力はやはりお葛さんでしょう。
特に秀でた「人物」ではなく、江戸っ子の集大成みたいな亭主にしょっちゅう愛想を尽かし、俗っぽくて流行りモノや甘いモノに弱く、火消しのイケメン見たさに火事場に駆けつけ、面倒見がよく、情にもろく、善良でしたたかで抜けていて、家族が大事で、勝ち気だけれど気弱な、どこにでもいそうな市井の民です。
が、この人の世の中の見方、暮らしぶり、人当たり、がなんとも清々しいし、周囲もこの語り手を反映したような魅力的な人物やデキゴトがみっちり、です。

身の丈に合った暮らしを大事にして、季節の移ろいや心の機微に添った毎日を暮らすことの美しさとちょっとした哀しさ(何事も永遠じゃないですから)が一貫してあって、すごく新鮮でした。

紹介してくれたなおさん、ありがとーございました。
浮世女房洒落日記_a0099446_162206.jpg

by kuni19530806 | 2011-12-27 23:20 | 読書

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