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神様のすること   

平安寿子著『神様のすること』を読む。

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平さんの小説は好きですが、たまに痛すぎて楽しめないときがあります。
そこまでクールにシニカルに、なにより「リアルに」人間の弱さ、狡さ、情けなさ、・・そして逞しさすら、を描かなくても、と思うときが。
でも、それが彼女の真骨頂だというのもわかります。

夢見て願って頑張って、40代なかばで小説家になったという平さんの作品は、常に市井の人、それも弱点を持て余す人が主人公です。
最近ではその弱点が更年期だったりもして、シンパシーを感じつつ読む、と同時に、轍のないけものみちをガンガン進む平さんに(今まで、誰も更年期を描かなかったという意味ではなく、そのストレートな描きっぷりが今までにない感じだという意)畏敬の念すら抱くと同時に、この人はどこまでいっちゃうんだろう、という期待と危惧、みたいなものがありました。
そして・・ここまでいっちゃうんだーというひとつの到達点がこの『神様のすること』だと思いました。

これは、介護小説でもありますが、ここまで子が親を、小説家がターゲットを、赤裸々かつ深くかつ容赦なく取り上げた私小説・・というかエッセイはないのではないかなあ。
最初は、ふつうの(という解釈があいまいだけど)介護小説かと思いました。
が、徐々にこれはリアル平一家の話だと。
もちろん、そういう体裁のフィクションはいくらでもあるし、ブンガクにおける「リアル」なんて、ある意味、考えてもムダです。
リアルもひとつの手法ですから。
でも、でもとにかくこの『神様のすること』に関しては、ノンフィクションだよねと一度読み手が自分で咀嚼しないことには読み進められないような、なんていうか覚悟が要るんですよね。

世間や親や時に自分さえも一刀両断でぶった切る「名言」が随所に出てきます。

<情けなかった。母が憎らしい。こんな母は、見たくない。
この怪物、眠らせて。>P61

<人をたった四種類の血液型で判別するのはおかしいと言う人もいるが、わたしは血液型判断をかなり信用している。人間には多様性なんて、ない。せいぜい四種類くらいのものだ。下手な小説はキャラクターが「類型的」だとよく批判されるが、生身の人間って、それぞれが自分で思っているよりずっと類型的だと、わたしは思うのよね。>P63

<二度と若くなりたくない。若返りの秘法なんて、要らない。もう一度あのバカを繰り返すなんて、まっぴらだ。図々しいばあさんになって、若いもんに説教し、老いを嘆き、政府の無策や世間の冷たさに文句垂れつつ、あっちこっちに迷惑かけまくって、のさばりたい。>P194

<父はケツの穴の小さい人間だった。>P205


でも、こんな文章もあります。

<口に出して言わないと、気持ちは伝わらない。人というのは互いに誤解し合っている。それが私の認識だ。
だが、口に出せない気持ちがある。そして、言葉にしなくても通じる絆がある。その時点で意味がわからなくても、心は何かをとらえて脳に刻み込む。いつか思い出して、理解するために。>P174

<記憶は嘘つきだ。でも、大事なのはエッセンスだと、わたしは強弁する。この世とはつまるところ、わたしに見えている世界のことなのだ。わたしは、わたしが作った観念の檻から出られない。けれど、時折、檻の中に光が差し込む。風が吹き込む。
そして、わたしに思い出させる。この世に生を受け、生きてきたからこそ出会えた人たちのことを。
彼らはわたしの中で生き続け、わたしは彼らによって生かされている。
それが、神様のすることだ。>


ここにもひとり、私を励ます書き手がいたよ、と思いました。

by kuni19530806 | 2011-01-25 23:55 | 読書

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