つかさんとキヨシロー   

つかさんが亡くなってしまった。

闘病は知っていましたが、こんなに早く訃報を聞くとは思いませんでした。
入院中の病室から演出している、という話を聞いていたので、復活も間近かと思ってました。
悲しいです。
最近はつかさんの舞台を見ていなかったので、ハタチの自分を思いやって悲しんでいる部分もあります。

つかこうへいと忌野清志郎は、ハタチ以降の(それ以来、今も連綿と続いている)自分の屋台骨の一部というか、構成要素になっています。
このふたりを知る前と後では、ものの見方や感じ方や価値観(みたいなもの)が明らかに変わりました。
おおげさだったり、今ウェットな気分だから言っているのではなく、それはまぎれもない事実です。

私は高校を卒業して東京に出てきて、学校に行ったり働いたり友達と遊んだり恋愛したり映画を見たり本を読んだりしましたが、RCのコンサートとつかさんの舞台は、その中でも特別なデキゴトでした。
単なる「ライブ」の域を超え、当時の私にとっては、人生の起爆剤であり、夢であり、憧れであり、現実の後ろ盾になりました。

つかさんの舞台を最初に見たときのショックは今でも忘れられません。
紀伊國屋ホールを出て自分のアパートに帰った記憶が全くないことに、後日気がつきました。
とにかく、「とんでもない世界に遭遇した」というカルチャーショックいっぱいで、その感動と畏怖でめまいに似た状態のまま、家に帰ったのだと思います。
以来、私はつかさんの舞台にのめり込みました。

同じ演目を何度も見てその都度衝撃を受けていましたが、「蒲田行進曲」の初演時のそれはまた特別でした。

幕が上がった舞台にいたのは、当時のつかさんの舞台の常連主役の風間杜夫でも平田満でも加藤健一でもなく、それまで一度も見たことのない顔でした。
若いんだか中年なんだかよくわからない容貌で、地味で目つきが悪く、おまけに刈り上げでジャージ姿という、とにかくうだつの上がらない風体をしていました。
彼は客席の「この人誰?」という視線に怯むことなく、間接的にはね返すように、あらぬ方向に目を向けて淡々と自分語りをはじめたのでした。
それは、新劇臭い熱演ではないのに、妙な凄味がありました。

役柄はヤス。
それを演ったのは、東京乾電池という劇団の主宰者の柄本明という役者でした。

再演と映画ではこの役は平田満が演じています。
彼の十八番ぐらいに「ヤス=平田満」として有名になりました。
情けなくて卑屈で、でもひたむきなヤスは、平田満には確かに適役です。
でも私は、初演のときの柄本明のヤスがずっと忘れられませんでした。
あれは本当に凄かった。

平田ヤスになくて柄本ヤスにあったもの、そのひとつはたぶんアウェイ感です。
あのときの紀伊國屋ホールの客席の「誰だよこいつ!」「なんで平田さんじゃないの?」「風間さんはまだ?」という空気こそが柄本ヤスの凄味の理由だった。
アウェイの馬鹿力。

それをつかこうへいは予想していた。
そして、柄本明がそこにちゃんと感応して、卑屈なくせに図々しくて、不気味で、開き直ったら凄味のあるヤスを作り上げるであろうこともわかっていたのです。

万事につけ、つかさんはそういう人で、そういう芝居を作る人だった。
生身の人間のみっともなさやもろさや狡さや見境や余裕のなさこそが、かっこよさや強さやとんでもない潜在能力に繋がる、がつかさんの舞台の基本理念(?)だったのです。
たぶん。

そして、私にとってはRCサクセションもそう。
みっともないところにこそかっこよさが宿る、弱いから強い、情けないから輝いたりする・・・そんな重要なもろもろを私に教えてくれたのは、清志郎さんとつかさんでした。
ハタチでふたりに出会えた私はラッキーでした。

そんな私もすっかりつまらない大人になりました(笑)。
つかさんじゃありませんが、恥の多い人生を歩んできましたし、これからも歩んでいくのだと思います。
でも、かっこよさや強さを見かけで判断しないという意味で「勘違いしない大人になった」ところだけは、自分はつまらなくない大人だなあと自画自賛しています。

もちろん、その解釈は私にとってだけの「勘違いしない」であって、他の人達は全然そうは思っていないかもしれない。
私が勘違いしないと思っている部分こそ、世間的には大きな勘違いなのかもしれない。

でも、私にはつかさんや清志郎さんがいます。
亡くなっても、います。

もうそれだけで充分です。
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by kuni19530806 | 2010-07-13 23:16 | その他

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