緑が目にしみたもので   

毎度おなじみの「すいか」ネタで申し訳ありませんが、ドラマの中で、3億円横領で逃亡中の馬場ちゃん(小泉今日子)が、小林聡美扮する同僚の早川基子にどこか田舎の公衆電話から電話をしてこう言います。
「ハヤカワ~、緑が目にしみるってホントだぞ」

昨日、ブックフェアに行く際、外堀通りの緑があまりに美しく、誰かに電話してこのセリフを言いたくなりました。

トシと共に、花鳥風月に容易く感動してしまうのは何も私に限ったことではないらしく、周りの友達からも「中年になったら桜が咲いただけでものすごく感動するようになった」とか、「新緑を見てると泣ける」「晴れているだけで生きていてよかったと思う」または「若いときは雨といえばうっとうしいものでしかなかったのに、最近は家の中で雨音を聴いていると心から幸せだと思う」などという声を聞きます。

これって、若いときは幸せを感じる瞬間がイベント、つまり非日常がらみであることが多いのに対して、トシを重ねると、なにげない日常こそが幸せだと気づくからじゃないでしょうか。
そして、日常がつつがなく進行していることの何よりの証しが、季節をきちんと感じ取れること、つまり自然の変化にちゃんと気づける毎日だと人は思うらしく、花が咲き、緑が芽吹き、雨が降り、風が吹いて、もしかしたら台風が来ても「感動」してしまうのかも。

オメデタイ話だ、毎日に余裕がなくてそこまで脳天気にはなれない、などと言うなかれ。

自然にやたら感動してしまうのは、年齢と共に身近に死も経験したりして、自分自身もそれをいつまで目にできるかわからないと思うようになるからじゃないでしょうか。
要するに「生の終わり」がうっすら念頭に浮かぶようになるから。
実は、実にシビアな話、だと思うのです。

若い頃は、今が永遠に続くような錯覚はあたりまえで、それこそが脳天気ってことでしょう。
脳天気じゃいられない年齢だからこそ、自然を脳天気に愛でる気持ちになる、そういうことなんだと思うわけですね。

つつましい日常が送れることを願うばかりの日々です。
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by kuni19530806 | 2010-05-14 23:08 | その他

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