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晴れ

今年のアタマからやっている部屋(ってか2階全体)の大掃除というか模様替えは実はまだ終わっていなくて、今日の午前中も洋服の整理などをしていました。
朝の6時台から。
早く起きてしまったもんで。

モノを減らすとスッキリしますが、捨てるモノに対して罪悪感も抱きます。
私のような、モノを管理できない人間じゃなくて、ちゃんとした人(!)に買われたりもらわれたりしてれば、もっといい状態で長く使われたかもしれないのにゴメン、みたいな。
いくら、もう何年も着てないしこれからも着ないことが明らかな、もらい手もいないに決まってる寂れ品でも、えいやっという思いっきりというか見切りをつける気持ちを動員しないと廃棄できません。
なので、元気なときか、今日のように天気が良くてうっかり気持ちも明るいかもと誤解してしまうような日じゃないと、モノは捨てられないかも。

それにつけても今日は本当にいい天気だ。
洗濯機回し日和だ。
日常関係、作業服関係、寝具関係、冬物関係、と4回もやった。
どれも3~4時間でカラッと乾いた模様。
気持ちいい。

午後、テレビをつけたら「スタジオパークでこんにちは」に小島慶子さんが出てた。
スタパ、時短になって以来初めて見たけれど、物足りないことこの上なし!
スタパの前のクイズ番組、要らなくね?
ホールドミーだかホールドオンだかわからないけど、あの時間の帯クイズ番組って唐突過ぎませんか?
どこを狙ってるんだろう。
ポジションとしては、平日のパネルクイズ21?
ぐっさんは児玉清?
いろんなことが中途半端な気がする。
番組内だけで中途半端ならしょうがないけど、スタパにも波及してる感じで、NHKの意図がわかりません。

やっぱり、生で人を呼んでインタビューして質問を募って番宣するなら、45分は欲しい。
っていうか、最初から今の尺なら「そんなもんか」だけど、まるで何事もなかったかのように番組は存続し、時短だけしてるから、やたら全てが急ぎ足な感じ。

今までは「ゲストの人間性を引き出そう」と「番宣しよう」が並列だったのが、4月からは後者がメインで「ゲストの人間性」はおまけになったってことなんですかね。
まあ、45分だろうが2時間だろうが、尺があれば人間がわかるかも、なんて思う方がオメデタイのかも、というのはある。
今までも、ゲストによっては間延びして感じられる回もあったから、いっそコンパクトにうわっつらだけ方式を採用したってことか。
あと、「あさイチ」でもプレミアムトークと称して時々スタパのようなことをやっているから、軸足を午前午後に分散させたってことなのかもしれません。
あさイチの方が、爆弾トークを引き出すホストが手ぐすね引いてる感じもあるし。

ちなみに、明日のあさイチのプレミアムトークは中山秀征だそうです。
いったい誰が彼の素顔を知りたいと思うのだろうか。

あ、そうそう。
小島慶子さんのことでした。
尺のわりに健闘してました。
ちゃんと現在の自分のキャラというかポジションをムダのないトークで説明してました。
さすがだなあと思った。
司会のふたりは、ふだんの予定調和ホストトークがことごとく打破されてすごくやりづらそうでしたけどね。
面白かった。
ただ、平日の午後1時台にテレビで小島さんの話を聞く違和感はあります。
ネットラジオとかスペシャルではなく、レギュラーで、できれば帯でラジオをやって欲しいな、やっぱり。
もうどこの放送局もビビってダメなんだろうか。
もったいない。

# by kuni19530806 | 2012-05-16 15:47 | テレビ | Trackback | Comments(0)

飼い喰い

内澤旬子『飼い喰い 三匹の豚とわたし』を読む。

周囲にファンの多い内澤さんだが、私は読むのは初めて。
そう、『身体のいいなり』も『世界屠畜紀行』も未読です。
そして『飼い喰い』を読んだ後に思うのは、やっぱり上の2作は先に読んどくんだった、です。

私はしょっちゅう同じことを言ったり書いたりしてる人間です。
持ちネタが少ないってことと、それ以前に最近、誰に何を言ったか言ってないかがとみに覚えていられなくなっているので、前に言ったり書いたりしてるかもしんないけどまあいいや、がデフォルト化しているのが「実情」だったりします。

でも、自分の発言は公式記録(?)には記されていないけれど、書いたことはこうしてここに残っているわけで、たま~にあらためて読み返すと(このエキサイトブログの機能がいろいろ変ったせいもあって、うっかり読み返す、その頻度は増えたかも)自分は人や世界に対して特に言いたいことはないものの、しょっちゅう考えてしまっていること、変わらずに思っていること、はあるみたいだなと気づいたりします。

その代表選手(!)は「人生はハイリスクハイリターンだ」と「人は点でなく線で生きてる」だと思われます。
そして、この『飼い喰い』であらためて感じたのは後者。

『身体のいいなり』と『世界屠畜紀行』を先に読むべきだった、と強く思ったのもそのせいです。
内澤さんがこの本を書くに至った経緯やこの本で記されたり描かれている出来事は、正直、この本だけでは私レベルの読み手に伝えきれていない気がします。

いや、この本が「独立した1冊」である以上、内澤旬子さんになんの予備知識がなくても他の著作を一切読んでいなくても、これのみで著者が表現した、そして読者が受け取ったもので充分という考え方はあるし、それは正しいとも思うのです。
それこそ、想像力の出番だ、とも言えるし。

ただ、誰より著者自身が、この本を「すでに自分に関する知識のある人に向けてしか書いてない」気がしてしょうがなく、それはこの本の肝である「喰うために飼う豚に名前をつけてなかばペットのように育て、でも最後はやっぱり屠って喰う」の「屠って喰う」瞬間に顕著な気がします。
もちろん、屠る部分の気持ちや考察は『世界・・』で深く掘り下げているのでしょうから、今回はそれを踏まえての次の段階、的なことではあるのでしょう。
私もなにも「豚をつぶして喰うとき、もっと書き手が感情的になると思った」と期待していたわけではない。
著者の屠殺に対する立ち位置というか気持ちは、この本1冊だけでも察せられるし、この本の肝は「屠って喰う」であると同時に、その前の「喰うために飼う豚に名前をつけてなかばペットのように育て」でもあることが十分に理解できる。

でもでも、それはそうでも、やはり私にはどうしても「いちげんさんは相手にしません」感が否めなかった。
なんでですかねー。

ちなみに、もし、書き手や売り手や業界関係者やファンに「なに、難癖つけてんの?他の著作を読んでからこれを読むのが当然でしょ」と言われるとしたら、私はそこには大々的に反論する用意があります(こわっ!)。

いろいろ書きましたが、いろいろ凄い本です。
本の雑誌の6月号の内澤さんと服部文祥さんの対談を読んだらあらたにいろいろ(いろいろばっかだ)補完されたので、あらためて「すげえ本だ」と思っている昨日今日です。
私も、あの「自然に感謝」を全ての免罪符にして、それでなにもかも許される・・ばかりか、自分は誰よりわかってる、と勘違いしてるみたいな輩に以前からすごく違和感があったし、この本の172ページの【「健やかに育て」と愛情をこめて育てることと、それを出荷して、つまり殺して肉にして、換金すること。動物の死と生と、自分の生存とが(たとえ金銭が介在したとしても)有機的に共存することに、私はある種の豊かさを感じるのだ。大規模化して薄まっているとはいえ、やっぱり畜産の基本には、この豊かさがある。そのことを、食べる側の人たちにも、もっともっと実感してもらえたらいいのに。】という文章には、深く深く感じ入りました。
171ページまで、正直ちょっと「内澤さんって強い以上にどっか鈍感な人かも」と思っていたことを心から申し訳なく思った。

下世話方面で気になったこと。
いろんな登場人物が出てくるのに、南駄楼さんが後半「配偶者が」と一度だけ一瞬だけの登場だったこと。
いろいろ邪推してしまった。

# by kuni19530806 | 2012-05-12 22:18 | 読書 | Trackback | Comments(0)

思いつくまま

G.Wも終わりです。
今の仕事は世の中の休みのサイクルとは無縁なので、連休は関係ないのですが、それでも巷の浮かれ気分の完璧に蚊帳の外にいるわけでもなく、横目で見つつ、というのが正直なところです。

この時期、花粉の飛散もようやっと終焉になり、それはもちろんものすごくうれしいのですけれど、毎年毎年「花粉疲れ」としか言いようのない体調になり、今年も例外ではなく、数日前から、たまに軽い寒気と軽いめまいと軽い腹痛と軽い胃もたれと軽い倦怠感(!)があります。
毎年、こんな感じ。
ドッと本格的な風邪の症状になって臥せってしまう年もありますが、しばらくどよどよした体調になることもあり、今年はどうやら後者みたいです。
まあね~、二か月以上も花粉症の症状が続き、薬もけっこう飲んでしまってるわけなので、身体にいろいろダメージはあるわな~。
花粉症なのに、飛散が終わるとスクッと何事もなかったかのように健康体に戻る人もそりゃあいるだろうし、私も5~6年前まではそうだったんだけど、これが「トシくった」ってことなのだろうな。

でも日常生活に支障があるほどではなく、昨日はお友達と東西線西葛西⇒砂町銀座商店街⇒都営新宿線西大島まで問題なくとても気持ちよく歩いたし(砂町銀座で塩と塩ポン酢と豆腐とがんもどきとピーナッツ味噌などなど、うっかり重量級の食品を買ったせいで、後半は疲れた)、食欲も全くふだんどおりだし、コーヒーも美味しく飲めるので軽症なのですけどね。
あ、楽しいことだと元気、ってのはあるかもな。

今宵はテレビで音楽三昧でした。
特に、途中からの視聴だったとはいえ「小澤征爾と音楽で語るチェリスト宮田大」(←タイトルいい加減)は、たとえ素人の手慰みでも弦楽器を弾いたことのある人間にはスルーできない種類の番組で演奏でした。
気持ちを音に乗せる稀有な一例を目の当たりにできたという感じ。
宮田さんの演奏はあくまで一例で、必ずしもあれがベストとか正しいと思ったわけではないけれど、触発される演奏ではありました。
小澤さんの度重なる降板(まさに土壇場で板を降りざるを得ない体調らしく心配)という特殊な状況下で、ソリストとして選ばれた人間はどう演奏すべきかを、客にもオーケストラの団員にも小澤さんにも、そして自分自身にも問われるという、なかなかハードなシチュエーションでしたが、25歳でそういう状況に置かれるというのは、試練ではもちろんあるけれど、同時にものすごい僥倖ではないか、と思いました。
これから彼は伸びるね、みたいな。


スーパームーンで自然の神秘さをあらためて感じたと思ったら、今度はまたまた自然の脅威も思い知らされた今日。
わかったからもういいから、と思ってしまう。
北関東は去年からずっと貧乏くじをひかされ続けている気がしてします。
頑張れ東北!だけじゃないんだよなあ、ホント。

# by kuni19530806 | 2012-05-06 23:59 | その他 | Trackback | Comments(0)

ロマンスカーで演奏会へ

日曜日に職場の方の演奏を聴きに行って来ました。
28分間だけだったけど、ロマンスカーに乗った!
混んでいたので、途中の駅までしかロマンスカーのチケットがとれなかったのだ。
でもボックス席に座ってお弁当を食べました。
あわただしいこと、この上なし!のランチでも、ロマンスカーだとテンションが上がるのね。

演奏会は、サービス精神旺盛で楽しかったです。
やっぱ演奏会は、楽器を弾くことを続けるモチベーションだよなあ。

画像は、会場に行く途中の商店街のマネ・キン子さん。
こういう方がいっぱいいらっしゃる洋品店でした。
なつかし~。

# by kuni19530806 | 2012-05-02 23:43 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

下地

昨夜(日付では今日か)ここに書いたこと、なんだか誤解を招く言いぐさだったかも。
その証拠に、「なんか、あった?」と早速メールをもらった。
心配されるような種類のことはなにもないけれど、書く下地になったことはある。

このところの私の懸案はほぼ父親のことだ。
もちろん病気自体を案じてはいる。
案じている、ではなく、案じてはいる、と書くところに屈折した親子関係のもやもやがあるわけだが、今なにが苦痛って、父親の「彼女」から頻繁にメールや電話が来ることだ。
電話だと最低1時間は父親の悪口を聞かされる。
ほぼ1日おきのペースでこの苦行が続いている。

私より父親の近くに住み、私より父親に強い感情があり、私より父親を案じている彼女の存在は今ものすごくありがたい。
彼女の存在がなければ、私は今の頻度の倍ぐらいは父親のところに顔を出さなければならないだろうし、それはかなりハードだし、この先、近い将来、必ず訪れるであろう父親の入院に対しても、彼女の「私ができるだけ付き添う」という意志表明がどんなに心強いことか。

でも、苦痛なんだよね、電話で「いかにあなたの父親は身勝手で見栄っ張りでうそつきで気分屋か」を聞かされ続けるのは。
それが本当にそうで私も同感でも、もう聞きたくねー。

何度、「そんなに不愉快な人間ならほっとけばいいじゃないですか」と言いたくなったことか。
私は計算高いので言わないけどね。

悪いけど、ふたりの間のことには興味がないのだ、私は。
歴史を語られて、「それなのにあの人は」と言われても、はあ、としか言えない。
それが高じて、前回の文章になった、かもしれない。

# by kuni19530806 | 2012-05-01 22:23 | その他 | Trackback | Comments(0)

すべて真夜中の恋人たち

川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を読む。

この本を読むような土俵にすら上がってないようなことを臆面もなくカミングアウトすると、私は人の色恋沙汰に本当に興味がないみたいです。
だからといってこの小説が面白く読めなかった、というわけではないのですが、これを書いている今現在、映画『バッチギ!』で主役をやっていた俳優の二股三股が話題になっていて、「そりゃあ、2人にほぼ同時にプロポーズするのはマズイだろうとは思うけれど、当事者や、その案件でとばっちりを受けたりして実害を被った人以外に、彼に文句を言う『権利』のある人間なんているんだろうか・・っていうか、どーでもいいじゃん、誰が誰を好きでも好きじゃなくても」としか思えず、まあ、ここで「権利」なんて言葉を使ってしまった自分もどうかと思うわけですが、なんだか、いろんな人が恋愛に限らずいろんなことに対して「自分も一言コメントする権利がある」とぎゃあぎゃあアピールしてる感じがそこここでしてうるせえ!と思う昨今なので、あえて、使ってみました。
・・ああ、文章メチャクチャですね。

実は今、職場には社内恋愛的気配が複数個所あり、面白いです。
面白いなんて書くと、「色恋沙汰に興味がない」と矛盾してるんじゃね?と言われそうですが、私の中ではしてません。
そういう気配を感じたり、画像として見たりすること自体は「いいんじゃな~い」と思うし、あわよくば応援の気持ちすらあるのです。
ただ、興味はない。
明らかに醸し出されたり垣間見えるモノは情報として受け取るし、その素材で料理したり咀嚼させてもいただくけれど、自分から取材したり憶測や想像をめぐらせたり進捗を気に病んだり・・ばかりか、率先してスポークスマンになったり、みたいなヒトの恋路における生産活動はしません。
ずっと、みんなそんなことの生産活動なんてしないよね、だって自分のことでも自分に波及しそうなことでもないんだから、と思ってきました。
でも、どうやらそうでもないらしいことが中年になってからわかりました。
これは、「中年だからわかった」ではなく、「中年になってから、周囲のそういう事例を複数知った」という意です。

どうも、他人の色恋での生産活動が大好きな人はけっこういるらしい。
ネタとして盛り上がることのできる芸能人のそれはわかるけれど、それ以外でも。
芸能人ではなくても、恋愛とあらば、ソッコーでネタ扱いに昇格(降格?)するのだろうか。

それと、自分が「興味がない」と言い切ってしまう理由は、人の感情はとどまっていない、と思うからです。
たとえば、自分が誰かを今「好き」だと思っていても、その気持ちがずっと変わらないかどうかなんてわからない。
むしろ、この世には変わらないものなんてない、を前提にした「とりあえず今は好きだ」という感情の方が自分には信じられる。
何十年も結婚しててナンですが(結婚してるから、ともいえる)、自分も自分以外も、明日の気持ちなんてわからないに決まっている、としか私には思えないのです。

要するに、人間関係は全て今の積み重ねで成立している、としか自分は思えないので、まるで未来永劫変わらぬ気持ちの言質をとるような迫力でこぞってヒトが知りたがる(←この文章もどうかね)「好きなの?恋なの?本気なの?」的疑問(どちらかといえば詰問)には昔からすごく違和感があるのです。
でも、いちいち「今は好きだと思う。でも明日はわからない」などと発言するのもどうかと思うので、そのあたりはテキトーに「好意を持ってるのは間違いない」とか言ったりして。
いやらしい言いぐさですね。

あ、この本のことを書いてないじゃん。
面白かった。
でも好きではありません。

# by kuni19530806 | 2012-05-01 00:48 | 読書 | Trackback | Comments(0)

介護保険ってやつは

父親の介護保険の申請に行ってきた。
せっかく頑張って早めに家を出たのに、京浜東北線が人身事故で止まってた。
人の命のことなのに、人身事故と聞くと、「っち!迷惑!」としか思わないのってどうなんだろう・・と昔はいちいち引っかかっていたが、いつのまにか引っかかることもほとんどなくなっている自分・・。

父親が居住する自治体の介護保険申請窓口で対応に出てきたのはいかにも新人のイケメン男子で、この人誰かに似てるなあと思ったら、映画「スイングガールズ」の中村に似て蝶だった。
平岡ナントカくん。

まあ、一生懸命であることは認めるけれど、なんだかたどたどしくてよく言えば初々しくて、話しがすんなり進まない平岡くん(じゃないが)。
それでもなんとか「主治医の欄に書くのはかかりつけの医者か、それともこのたびの病気で通院している病院か」と聞くところまでたどり着いたと思ったら、「どちらでもいいかと思います」と言った平岡くん。
私が明らかに不審そうな顔をしたところ、「ちょっとお待ち下さい」と上司を呼びに行っちまった平岡!
もはや平岡と呼び捨ててやる(だから平岡じゃないってば)。

そして結局、ほぼ最初から上司に同じ説明をするはめに。
やっぱりねーだろうと思ったー。

申請が終わり、今度は支援センターに電話をし「今日、介護保険の申請をしてきたので、ケアマネージャーにケアプランを立てていただきたいんですけど」と、申請窓口で係(平岡じゃなく上司の方)に教えられたとおりのことを申し述べたところ、電話口の女性は「申請が受理されなければケアプランは立てられません」とケンモホロロ的見解。
あんた、何言ってんの?的言い方でした、マジで。
で、これこれしかじかと申請窓口のやりとりを説明したところ、「あ、ちょっと待って下さい」と保留音(パッヘルベルのカノン)さんに代わり、その後出た本職(?)のケアマネージャーにまたまた同じ説明をし、話が通じました。

別にいいんですけどねー。
支援センターで最初に電話に出た女性以外は感じが悪いわけじゃなかったし。
でも、いくら新人だったり単なる電話番の人だったりするのかもしれないとはいえ、1人の人間(私)に対して業界関係者が誤った情報を2回も提供してしまうことって、この制度がわかりづらい証拠なんじゃないのかなあ。
私なんて素直ですから、もし支援センターになんの後ろ盾もなく丸腰で問い合わせて、「申請が受理されないとプランは立てられない」と言われたら、それが正しいと思っちゃうもん。

こう言っちゃなんですが、素人がとりあえず「手続きがめんどくさい」と思う公的制度や仕組みって、それに関する専門職を作る、もしくは増やすためにわざとめんどくさくしてるんじゃないの?

ちなみに、知り合いに50代の整形外科医がいるのですが、その人も介護保険に関して全く誤った情報を私に提供していたことが今日わかりました。

介護と医療って、近いようで実は遠い業界なのかもしれませんが、遠くちゃダメだろ、と思います。

ああ、疲れた。

# by kuni19530806 | 2012-04-27 22:35 | その他 | Trackback | Comments(0)

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